自動体外式除細動器のこと

「うちの人が倒れました」なんて救急要請があって、救急隊が現着してみたら心臓停まってて、 救急車に積んである自動式の除細動器をつけてみたら「心室細動」の表示が出て、 すかさず直流除細動のボタンを押したら、患者さんが復活した、なんて事例が、 今年に入ってからすでに3 人目。

救急車に「AED 」 、自動式の直流除細動器が積まれるようになって、今までなら亡くなっていた人が、 ずいぶん助かるようになった。

自動式の除細動器はたしかにすばらしい機械なんだけれど、あの機械のすごさというのは、 「技術的には全然すごくない」ことにつきるのだと思う。

救命救急士の時代

研修した病院は、米国式の心肺蘇生術を広めた草分けみたいなところ。 職員は全員心肺蘇生の手順を覚え得ていたし、必要な機材も、一通り揃ってた。

14万人規模の中規模都市で、市内の救急半分以上受けていて、それだけの「備え」を病院で行いながら、 助かった人は6年間で2人だか3人、そのうち歩いて帰れた人は1人だけだとか、ひどいものだった。

患者さんが病院に運ばれて、心肺蘇生を行う。「米国式」は良くできていて、一生懸命やると、 かなりな頻度で心拍が再開するけれど、患者さんを集中治療室に上げて、人工呼吸器つけて、 やっぱり何日かすると心臓持たなくて、ほとんどの患者さんは病院で亡くなってしまった。

心肺蘇生の成功率が低かったから、日本では最初、「人」を改良する戦略がとられた。

アメリカみたいな「救命救急士」という制度を作って、心肺蘇生に必要な処置、 気道確保と直流除細動が救急隊レベルで行えるように、彼らを鍛えた。 うちの施設では心肺蘇生のトレーニングコースをやってたから、救急隊の人達は、 当時何人も参加して、勉強していた。

自動診断装置こそなかったけれど、救急車には当時から除細動器が積まれていて、 人工呼吸も、心電図モニターの機械も、何でもあった。必要な機械はすでにその場にあって、 機械を操作する救命救急士の人達も、それを使うための知識と技量を備えたのに、 一番肝心な、「診断」と「決断」を行う権利が、救急士には与えられなかった。

みんな一生懸命訓練を受けて、10年ぐらい前のその時点で、救命救急士の人達は、 事実上何でもできるだけの「腕」を持って、「武器」に囲まれていたのに、動けなかった。

「決断」を巡るグダグダ

「診断」と「決断」は医師のもの、なんて常識が誰かえらい人にあったのか、 救急隊は、あくまでも「腕」であることが求められて、今度は誰が「頭」をやるのか、問題になった。

構想では、救急隊が患者さんを救急車内に収容して、心電図モニターをつけて、その波形を病院に電送して、 医師がそれを読んで許可を出したら、救急士が直流除細動を行うことになっていた。

誰が「読んで」、誰が「決断」するのか、誰にも決められなかった。

「官」の人達は「官」と仲がよかったからなのか、最初は公立病院に話が行った。

市内で一番「格上」だったのは、近くにあった市立の病院だったけれど、 そこにだって循環器の医師が常駐しているわけじゃなかったから、 当直医は許可を出せなかったし、「決断」を下したその時点で、その患者さんは その病院で責任持たないといけないから、病院の体制から見直さないといけなかった。

うちみたいな民間病院は、そんな意味ではやる気十分だったけれど、「官じゃなかった」から、問題外だった。

話がグダグダしていく中、どうも市のほうでは「公立病院の医師が診断して、 救命救急士が処置を行って、その後うちの施設に運ぶ」なんてルールが、 うちの施設抜きで決定されてた。

何も聞かされてないのに、知らないところで「診断」と「決断」が下されて、 不整脈から回復したばっかりの、不安定な患者さんが、問答無用でうちに運ばれてきそうな流れになって、 それはさすがに無理だから、断った。

モニター心電図のデータをうちに送ってくれれば、問題はそれで解決するはずだったのだけれど、 やっぱり「官じゃない」ことが、あの人達には決定的な問題だったらしくて、また揉めた。

話が二転三転して、結局たしか、うちの病院が救急車の数だけ携帯電話を購入して、 それを「救急車に置かせていただく」ことまでは許可してもらった。モニター心電図の波形を 見ることはできないけれど、音だけは聞かせてもらえて、判断は公立病院の医師が行うけれど、 携帯電話を通じて「雰囲気」だけは味あわせてやるから、あとは黙って患者さんを受けろなんて。

においだけかがせてやるから、鰻重おごってもらった気分で働け」なんて言われても納得できなかったけれど、 話はたしか、それでまとまって、携帯電話が救急車に積まれた。自分たちが研修してた頃、 それが鳴ることは、ついになかったけれど。

外圧が状況を動かす

AED のお話というのは、「政治の力は、技術それ自体の力よりも、しばしば大きな変革をもたらす」好例だと思う。

除細動器の技術自体は、1970年代には実用化されていたし、心電図の自動診断もまた、 自分たちが研修を始めた10年前には、もう当たり前のように心電図モニターには搭載されていて、 「診断する心電図モニター」は、すでに救急車内にあった。

AED はだから、技術的に何か画期的な進歩の成果として登場したわけではなくて、 「ありもの」の技術を組み合わせただけ。それはたしかに画期的な道具ではあったけれど、 そのすごさは技術的なものと言うよりは、今ある技術を「組み合わせていい」という、政治的な決断にあった。

アメリカでAED が認可されて、「外圧」が生まれてからの動きは本当に速かった。

「偉大なるアメリカ人様」からお墨付きを戴いた機械に疑問を呈する人は少なくて、 あれだけグダグダしたのが嘘みたいに、たぶん「日本独自の検証」とかほとんどないまま、 救命救急士の人達は、医師の許可なんかすっ飛ばして、自らの判断でAED のスイッチを入れて、 結果として、とても多くの人が助かるようになった。

「とても」といったって、田舎の小規模病院で年に数人、今までだったら亡くなっていたであろう人が、 歩いて帰れるようになっただけのことだけれど、今まで「ゼロ」重ねてたことを思えば、これは画期的な進歩。

技術それ自体は案外何も変えないけれど、政治決定は時に大きな変化を生む。

大切な政治決定が国内で為されることはほとんどなくて、一番大切な決断は、常に「外圧」の形で輸入される。

結果オーライではあるけれど、10年かかった。

新しい薬だとか、技術を開発するのではなくて、「ありもの」の技術を転用するやりかた、 組み合わせるやりかたで解決できる問題は、まだまだたくさんあるはずだけれど、 その決定が日本で為されることは、たぶんないのだろう。

第二次世界大戦頃から今に至るまで、そのへん本当に何も変わっていないな、とか思う。