集まりや盛り上がりを支えるもの

エジプトの市民革命は、ピーク時には数万人もの人々が広場に集まって、集会は20日間近く続いて、大統領を退陣に追い込んだ。

ああいう大きな人の流れは、もちろん政府当局に対する市民の怒りがあったのだろうけれど、あれは「数万人規模の人々を20日間、広場で生活してもらう」という、イベント運営の側面もあって、兵站や補給の側面から今回の革命を見直すと、とてもよく考えられていたなと思う。

エジプトのデモ広場を案内する記事を見ると、水場やトイレどころか、病院から幼稚園まで準備されていた。テレビで放映されたデモの映像には、人々が集まった真ん中に正円形のテント村が写っていて、集まった人がなんとなく作ったものにしてはずいぶん整った形をしていたのだけれど、実際に現場で行われていたことは、想像をはるかに超えていた。

食べて休まないと動けない

学生時代に手伝い要員として参加したイベントでは、集まった学生を「生活させる」ための仕組みがしっかりと整えられていた。

イベント当日の1週間ぐらい前から、全国から申し込んだ学生は、近所の寮みたいなところで寝泊まりしながら、ボランティアとしてイベントの準備を行う。たしか全国から50人ぐらい、なんとなく参加したそのイベントでは、現地の上級生が「その日の仕事」をきちんと割り振って、「その日食べるもの」や、「その日寝る場所」も、今思い返せばきちんと割り振ってくれていた。

参加してみたものの、知りあいなんて誰もいないし、知らない土地でいったい何をすればいいのか、そもそもどうやって生活していけばいいのか、勢いしかない若かった頃は、そういう想像が及ばなかった。現地に行ってみれば、当然のように「今日やる仕事」が用意されていて、お昼になればお弁当が配られて、お風呂や寝る場所も割り当てられたけれど、今同じことを、「それが当然あるものだ」と思っている人たちを相手に、自分が同じようなイベントを仕切れるかと言えば、怪しいものだと思う。

組織は便利

体育会のイベントは、各大学の主将に話を通せばそれで済むから、運営は圧倒的に簡単だった。

どれだけの人数が集まるイベントであっても、各大学内部の運営は主将の管轄で、自分たちは大学の数だけ通信を行えば、あとは大学で何とかしてくれた。それにしたって、お昼の弁当配りは大変だったし、大会を主管する側は、近所のトイレやコンビニエンスストアの地図、地域病院への挨拶回りや、会場を貸してくれた役所への挨拶、やるべきことはたくさんあったのだけれど。

阪神大震災直後、罹災した人たちは地元の体育館や公民館に避難して、食料の配布や医師の派遣は、各建物ごとに行われたのだけれど、そこに「組織」を仮想して、初動がわずかに遅れることがあったんだという。

全国から医療従事者が派遣されて、人の集まった建物で「怪我をしている人はいませんか!」と叫んだところで、そこに代表者はいないから、本当に具合の悪い人は、そうした声に応えられない。集まった個人と、組織とは全然違うんだということに救護する側が気がついて以降、「声」でなく、「足」を使った病人探索に切り替えて、重症の人を捜したのだと。

プロは兵站を考える

数万人規模の集まりを、単なる熱意で維持するのは不可能で、誰だってお腹は空くし、寝ないと疲れる。トイレなんて、むしろ真っ先に用意しないと大変なことになる。人々がある程度組織だっているのなら、まだしも少人数で何とかなるのかもしれないけれど、全国から熱意ひとつで集まった人たちは、組織には遠いし、どれだけの準備を整えて広場にきているのか、運営する側からは全く読めない。

素人は火力を考える。プロは兵站を考える。

デモをやろう、広場に集まろう、政府をひっくり返そうという気運が盛り上がって、すごい数の人が広場に集まったとして、その熱気は、数日間は持つかもしれないけれど、政府の側に3日間も我慢されれば、誰だって疲れて、勢いは衰える。一度勢いが衰えてしまえば、政府が失敗しなければ、もう熱気を維持するのは無理だから、革命を指揮する側の人たちが、熱気を維持するインフラを整備しないで、気概だけで集団を持たそうとしていたなら、「国民の選択で」現政権が維持されたという結末も、十分にあり得た。

たとえば1週間なら1週間、集まった人たちの気力を持たせようと思ったならば、空気を盛り上げるだけでは不足で、そこで生活できるだけのインフラを整えないといけない。水場や食事の供給、トイレ、病院、気概を維持するためのモニュメントも必要になる。今回のデモ広場には、病院どころか託児所まで完備されていて、ちょっとした都市の機能は全部揃っているみたいだった。

漠然と「マネジメント」の能力には違いないのだけれど、あの市民革命を支えた裏方には、人や物の流れをきちんと手助けできるだけのノウハウを持った誰かが間違いなくいて、その人たちが集まった人を手助けしたからこそ、2週間という長い期間の間、集まった人たちの熱意が持ったのだと思う。

インターネットの意味

「インターネットによる革命だ」という切り口で、今回のエジプト革命が取りあげられることがあったけれど、ネットで緩くつながった人たちが、ただ集まって盛り上がっただけではこうはならなくて、運営する能力を持った誰かを持たない人の集まりは、「革命」でなく「暴動」になってしまう。

10万人を超える人たちが集まって、よしんば誰もが目的意識を共有できていたとして、じゃあそれだけで革命が成功するかと言えば無理な話で、盛り上がった人たちはどうしても疲労するし、食べたり寝たりする場所が用意されていなければ、下手するとどこかで事故が起きて、デモは屯坐してしまう。

広場の地図と、集まった人たちとを、あらかじめ条件を想定できるなら、人の流れを設計することはできるし、プランも組める。考えるだけなら、恐らくそれは誰にでもできる。ところがデモが発生するタイミングは読めないし、人の数だって読めないのだから、デモの当日、地面からの目線で、上空から見た当日の地図を想像して、そこからプランを組める人はほとんどいない。インターネットは、通信インフラとして間違いなく大活躍したのだろうけれど、何よりもまず、人の流れと物の流れとをきちんと設計できる人がいなければ、物事はここまで上手くいかなかったような気がする。

あのノウハウが、軍のものなのか、それとも建築畑なのか、イベント運営なのか、いずれにしても、どんな人たちが裏方で活躍したのか、ぜひとも知りたいなと思う。