酒の切れ目は技術の切れ目

8年ぐらい昔。技術継承のために飲み屋さんを利用している地域があった。

誰か有名な先生を他の地方から招聘して、「つぼ八」みたいな飲み屋さんを借り切って、 ただひたすらに飲む会。

有名な医師の講演会とか、偉い人のありがたいお話とか、そういうのは抜きにして、 最初はとにかく飲む。県内の各病院の、上の人達が集まって、ただ飲む。

みんなにお酒が行き渡った頃、宴会場にスクリーンが持ち込まれる。

まだ飲んでない若手が入場して、各病院の症例、うまく行かなかった症例だとか、 苦労した症例のスライドを持ち込んで、 酔っぱらった偉い先生がたを前にして、自分の経験を語る。

会場からは、酔っぱらいの容赦のない突っ込みが入る。

「どうしてこういうやりかた試さなかったの?」だとか、 「こんなケースはこうすればいいんだ」とか。忌憚のない、でもみんな酔ってるから「厳密な検証」なんかとは 少し外れた、ベテランの知恵みたいな言葉を、若手はたくさんもらえたんだという。

無礼講の成立条件

  • 人間関係がフラットであること
  • 外に対して閉じていること
  • そこで話されたことを「真に受けない」こと

イデアは、質よりも量。瑕疵がないことよりも、面白いことが大切。

人間関係だとか、社会的な体面を重んじる態度、場に出された言葉に、厳密さだとか、 ある種の責任を求められてしまうと、アイデアは頭の中で腐ってしまう。

ブレインストーミング」だとか、「アイデアマラソン」だとか、フラットな議論、 新しい発想を生み出すための会議手法がいろいろ提案されているけれど、 こんなやりかたが最終的に目指しているのは、要するに 「お酒の入らない無礼講」。無礼講を実現するための道具として、 お酒というものは、だから案外理にかなっている。

宴会の席。「酔う」ことで、人間関係は平等と見なされて、多少の失礼は許される。 そこで話される言葉は「酔っぱらいの戯れ言」だから、言質とか、責任を求めるのは野暮。

酔った席での言葉は、「真に受け」てはいけない。

宴会の席で、何かいいアイデアをもらっても、それを「実地」に応用しようと思ったら、自分で検証しないといけない。 酔いが覚めて、自分の上司に尋ねてみるとか、論文調べて、その時もらった言葉を検証するとか。

ネット世間で、病気のことが話題になっていても、よっぽど信頼出来る人でもない限り、 怖くて口を挟めない。発言して、それが一人歩きした先のことまで、責任取れないから。

言葉を「真に受けない」こと、その人自身の症状と、インターネットを介して伝えた自分の印象と、 食い違ってたとき、「あの人ならば、迷わず自分自身の症状を信じるだろう」なんて信頼。 逆説的だけれど、迷ったときに「相手の言葉を信じない」ことに対する信頼がお互いに作られないと、 ネットを使ったアイデアのやりとりは難しい。

酒の切れ目は技術の切れ目

お酒が作り出す「無礼講」が技術を育む時期というのが、きっとどの業界にもあるのだと思う。

イデアを出して、討論して、技術を共有するための場を作り出すために、 お酒が持つ社会的な機能が援用される。同じ状況をお酒抜きで、 「ルール」で実現するのは、たぶん難しい。

技術が始まる。「無礼講」の中で、お互いの経験だとか、アイデアが交換されて、 それが実地で検証されて、技術が確立して、広まっていく。

技術が広まると、その業界に注がれる「目線」が増える。目線は「きれい」を望んで、不謹慎なものを嫌う。 技術者の集まりからは、「酒」の出番が減っていく。

目線からの自由を失った技術は、継承が途絶えて、衰退してしまう。

技術には確実さが、言葉には厳密さが求められるようになる。飲み会での馬鹿話は、 目線の中での公開議論になって、会話は記録され、言葉は「ですます」になる。

会議は退屈な、和やかな空気が支配する。厳密に検証された、「正しい」やりかたが好まれる。 「おまえ馬鹿じゃねぇの?」なんて、へべれけに酔っぱらいながら厳しい突っ込み入れてたベテランは、 今では背広にネクタイしめて、「おっしゃるとおりだと思います。○○先生」なんて。

技術が全ての人に対して開いていること。瑕疵のない、厳密な議論を重んじる態度。 発想の面白さよりも、反論されないこと、瑕疵を指摘されないことを最重視するやりかた。

そんな態度のどこがいけないのか、「これ」という指摘は出来ないのだけれど、 たぶんいろんな業界で、技術が停滞するときにはこんな空気が支配的になって、 一度歩みを止めた業界からは、もう新しいアイデアなんて生まれてこない。

技術者の集まりから「酒の席」が消えると、たぶんその業界は衰退してしまう。

ある種のきれいさを重んじる人からみれば、酒の席それ自体、 業界から抹消すべき悪しきものなんだろうけれど、消しちゃいけないんだと思う。